共同競馬会により新宿戸山の戸山陸軍学校の地で戸山学校競馬が行われていたが
当時、交通の便が悪く来場者の足も遠のいていった
1884(明17)年:馬場を上野の不忍池に新設し上野不忍池競馬場として再開された
初日には明治天皇の行幸を仰ぎ、政府高官や財界人がこぞって集い大祭典となった
「午後一時より海軍省の端舟(ボート)三艘は満艦飾をなして池中を一周し
続いて第一の競馬が始められ
一番終るごとに花火の打揚げと奏楽あり
此日は朝より打しぐれたるにも拘はらず此の盛挙を見んとの人数はさしも広き池畔を埋め
臨時に掛渡したる桟敷は人満て落るばかり上野の山にも群集したり」
その後も上野不忍池競馬では春秋2回の開催を続けられた
しかし
共同競馬会は馬券を発売できなかった為
政府・陸軍の補助金も限界に達し
1950(明25)年:経営難を理由に解散となった
東京府下谷区上野公園
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